村岡恵理

岩谷さんは卒業後4年ほど、就職もせず結婚もせず、宝塚の『歌劇』などに投稿を続けて浪人生活を送りますが、その時間には、読書をはじめとする膨大なインプットがありました。そしてついに宝塚出版部から編集部員として誘われますが、そこで運命が変わりました。当時の宝塚の生徒さんたちは、必ずしも裕福な家庭のお嬢さんばかりではなくて、たとえばコーちゃん(越路吹雪の愛称)と同期の音羽信子さんも、家庭に事情があった苦労人で、家族を養ったり、何かを背負っている人も多かった。戦争が激しくなればなるほど、お嬢様でお稽古事の延長みたいな感じでやっていた人たちは、もう続けられないと故郷に帰っていく。それでも舞台の夢が捨てられない人たちだけが残っていったのです。実際、戦争で、450人いたジェンヌたちが三分の一くらいになっちゃうんです。その中で残ったのが淡島千景さんや久慈あさみさんであり春日野八千代さん。コーちゃんもやめそうになるんですけれど、なんとか留まりました。岩谷さんもしかりです。そんな若い女性たちが、宝塚には羽根を寄せ合っていた。ひとりぼっちでは越えられないものが、一緒だったから夢を捨てずに越えられたんですね。越路さんは結局岩谷さんの実家にもう一人の子どものように身を寄せて、2人は戦争を経てお互いに運命共同体となっていったんです。